Visionary Artist Keisuke Fukase 深瀬啓介

視覚的な体験とは何か?

“見る”とは本当はどういう体験なのか?


“多くの人”とは誰か、本当に人は“肉眼”で見ているのだろうか、“普通の景色”とは何だろうか?

…多くの人と共有できない視覚体験をしている私の長年の疑問である。

長年視覚について探究してきた今の私の考えはこうである。

多くの人が「みんな同じように見ている」と当たり前のように信じているけれど、実際は一人ひとりそれぞれの視覚体験をしている。

肉眼は視覚的な体験に関わっているが、実際は内的な視覚「インナービジョン」で物を見ている。外部から観測できる脳の働きというのは、インナービジョンで見ている時の変化であって、脳が直接の視覚体験を作っているわけではない。

インナービジョンは個人の認識のフィルターを通して映像が作られているので客観的な映像ではない。

人々が共有していると信じている外部の色や形などの情報とは、実は電磁波の刺激のことであって、そこに客観性はない。

さらに、見えている色や形は個人のインナービジョンで表現された視覚体験であって、そこにも客観性はない。

昔、デッサンを学んだ時「見たままを描きなさい」と先生から言われたので、そのように描いたら「抽象画ではない」と注意された。

私には“普通の人”が見ているような顔の表情や皮膚の質感は見えない。

そのため、“普通に見える”似顔絵を描くことは難しい。

そのまま描いたら人の顔には見えないかもしれない。

また、私は“自分の腕”の力を抜くと半自動的に絵が描かれるが、多くの人はそうではないらしい。

半自動的な絵を描いている時はとても平和な気持ちになる。

でも普段は神経が全て飛び出したようにいろんな刺激に敏感になりすぎるため、小さなことでドキドキしたり、何かあるとイライラしたり、すぐに疲れてしまう。

それでも今まで何とか生きてこれたのは中学の頃に学んだ瞑想のおかげだが、瞑想をしたからといって“とても平穏な性格”になったわけではない。

半自動的な絵を描き始めると手の力は抜けて軽くなり、心の中に感謝と平和が溢れ、目を開けていても内的な映像が見える。

半分“夢”を見ているが、物質的な世界を見ようと頑張っているのでパニックになることはない。

でも、“夢”は立体的で、意識を向けると匂いや音や手触りや温度も感じられるため、気をつけないとそのまま眠ってしまう。

私は、内的な視覚で観察して描いた風景を皆さまにお伝えしたいと思い絵を描いています。

深瀬 啓介